10年以上前。
「トモ、日本企業をパビリオンにしてなんとしてでも
(上海・香港・ソウル・シンガ・バンコク・クアラルンプール)に引っ張ってくれないか」
今。
「トモ、もういい加減、国なんてほっといたらどうなの?
うちの国で活動したら破格の環境を用意されると思うよ」
ここ数年。
うすうす感じてはいたが、
こうして一人でふらふらとアジアを回らず、
例えばかの国のお役人に飛行機のタラップから外交ルートで入国させてもらって、
日本を持ち上げられて・・・・なんて訪問をしていたので
鮮明に気付けなかったが、
クアラルンプールのオートメーション・自動製造化の国際見本市、
シンガポールの動画・通信・放送の国際見本市での
「ちっぽけな日本の存在感」を突き付けられ、
その感想を漏らしていたら、
10年前に日本の企業たちを
何としてでも引っ張ってほしいと言っていた人々に
冒頭のような本音をぶつけられて、
思い出すとチャンギ空港に向かう途中、
涙がでてきそうなほど歯がゆい気持ちがこみ上げてくる。
さらに、
今のシンガポールや上海やバンガロールと日本の小学校教育を比べた時、
逆転された後に日本がそれを抜き返すような教育環境にもないとも
思うのだ。
私も娘の将来を考えて、国を移すか相当悩んだ。
(悩んだ末に最悪シンガにもUSにも転入できる学校を選んだ。
愛国心と日本への愛着心、故郷という感情。
これがわが家にとってなににも代えがたく、
国語をしっかり根付かせ、
移るならもう少しもの心ついてからでも遅くないように、
本で書いたように習い事や実践を徹底して積ませている)
はっきり言って、
今日の現場で日本の高等教育などほとんど役に立っていないだろう。
しかし彼らは役に立つ人材を育てている。
だから、新卒でもスタートから年収1000万以上の人材がごまんといる。
どうやったら、
平和ボケ、日本はリッチだぜボケした
国民の意識を変えられるのだろうか。
今日、どれだけ歯がゆい思いをしたか。
クアラルンプールでも同じ気持ちを感じたが、
今日は昔なじみが色々いたからこそ、
その何倍もの想いがこみ上げる。
政治の力を使わずして、
ミクロからマクロを変えるのも
そろそろ限界かもしれない。
自分が深い気持ちを感じ、
見えてきたイメージが
3~10年後くらいにマジョリティーリアルになる。
でもそうならないように、
今はまだミクロでできることを積み重ねるしかない。
そう、できることをやるしかない。
ちょっと強行日程になったが、
これから台北へ向かってやれることをやるしかない!
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